sugar普段は談笑が響き、温かい空間である休憩室も、時間でいう真夜中には、無人の、冷たさを与えた。 シンは、1人休憩室の、いつも自分が座る所謂定位置に腰をおろし、そそくさと作ったココアを片手に何をするでもなく時間を潰していた。 先の戦闘で心身ともになかなか興奮が取れなかった。 タリアには、早々に休め、とパイロット3人申し渡され、各々の自室へと追い立てられたが、だからといってそう簡単に休むことが出来なかった。 同室のレイは、言葉どおり休もうと、自室へ戻ってすぐベッドで横になっていたが、シンにはそれが出来なかった。 原因は、オーブ出航直後のあの戦闘。 圧倒数で、自分たちを待ち構えていた地球軍艦。後退しようとしても、オーブが軍艦を引きつれ、領海内に入らせないよう見張っていた。 前方には言わずもがな地球軍艦が陣を広げており、戦闘を回避して先へ行くことは難しかった。先へ進むには、路をふさぐ数隻にも及ぶ地球軍艦を全てなぎ払うしかなかった。 しかし、そう簡単にそれがなせるわけではない。幾らパイロットがアカデミートップテンしか身に纏えない赤だとしても、たった3機である。対する敵は数え切れないほどもMSを導入してくるのだ。 それに、先日出会った彼の英雄、“アスラン・ザラ”や、アスランの同期であるジュール隊長を初めとするヤキン・ドゥーエで戦ったものたちとの実力は、情けない事に大きな開きがある。悲観的に見てしまえば、天と地ほどの差がある。まるで月とすっぽん。 自分たちだけではあれだけ苦汁を飲まされていた、アーモリーワンで新型MSを奪取して言った謎の集団を、見事な連携で打ち負かしていくさまは、凄いとしか言いようがなかった。 いつ終わるか分からない戦闘で、エネルギー残量だってそこをついた瞬間に訪れたあの恐怖。 死ぬかもしれない、このまま死んでしまう。 そして、自分は一瞬、本当にほんの一瞬、諦めた。自分はここまでなのだと。しかし、それはすぐ覆された。諦めた瞬間、頭の中に過ぎったのは、あの日、オーブが侵略を受けた日、喪った家族の無残な姿。大切で、誰よりも大切で守らなくてはならない存在だった妹、マユの笑顔。 死ねない。こんな所で、自分は死ぬわけには行かない。あの時感じた慟哭を、憤りを、自分はまだ忘れてはいない。吹っ切れているわけでもない。 家族の分まで、自分は、シンは生きなくてはならないのだ。 こんな所で、家族を、マユを失う切欠の1つである地球軍の手によって死ぬわけには、いかないのだ。 そして訪れた、不思議な感覚は、未だシンの中で消化できずにいた。 いきなりクリアになった思考と視界。自分以外の全ての動きが、まるでビデオのスローモーション再生を見ているかのようにゆっくりとしていた。まるで、遠方の地で眺めているかのような錯覚さえした。 一体、あれはなんだったのだろうか。 死ねないと思った瞬間、何かがはじけたのだ。その結果、枷が外れたかのようにシンは動いた。必死に、全てを蹴散らすために、シンは剣を振るった。 考えても、答えは出ない。こんな時に、オーブの地で別れたあの英雄の存在を思い出す。彼ならば、これの原因を知っているのではないかと。一体どうしてこんなことが起きたのか、懇切丁寧に教えてくれるのではないかと。 考えても仕方ないが、考えられずにはいられなかった。 大きくため息をつき、手に持つ温かく甘いココアを口に含んだ。 普段、誰にも気付かせていないが、シンは大の甘党だ。切欠は今は亡きマユに付き合ってケーキバイキングをしょっちゅう食べに行っていたことだ。最初は好きでもないし、嫌いでもない、という状態だったのだが、気付けばマユにさえ奇妙な目で見られるほどの甘党になっていた。珈琲を飲む時は、ミルクと砂糖たっぷのカフェオレに近い存在にするのが常であったし、アイスクリームやフルーツ、生クリーム、チョコクリーム等をふんだんに使ったジャンボパフェは、シンの大好物である。 しかし、シンも男である。そして、大人と認められてはいるが難しい年頃でもあった。 恥ずかしかったのだ。極度の甘党だと知られるのが、男のプライドが許さなかったのだ。そして、見栄を張り、今では1杯だけとはいえ珈琲をブラックで飲むことも可能になった。良くも悪くも。 だから、このミネルバにシンが甘党だと知る人物は1人としていなかった。 このときまでは。 「あれ・・・・・・シン?」 「あ・・・・・・。ヴィーノ」 戸口のところで驚きながらシンを凝視する瞳。 整備士のつなぎを身にまとうヴィーノは、目を瞬かせていた。 「やっぱり!お前何やってんだよ!!」 「何って・・・・・・寝付けないから、ここでボーっと」 「寝付けなくても休めよな!今日は大変だったんだから」 呆れた視線を向けながら、ヴィーノは至極当然にシンの正面に腰をおろした。 ヴィーノの視線が痛いシンは、苦笑を浮かべるしかない。 「ったく・・・・・・パイロットは体が資本だって、アカデミーでやったし、艦長もそう言ってたじゃん」 「それは分かってるんだけど、どうしても寝付けなくってさ」 あの戦闘の興奮が今でも冷めないんだ。 シンが続けると、一瞬ヴィーノの顔から色が消えた。しかし、不審に思う暇もなく元通りの、呆れた表情に戻った。 あれ、と思うが、ヴィーノに変わった様子はない。目の錯覚だったのだろうか。内心頭を捻っていると、突如体が揺れた。いや、性格にはいきなり上の空になってしまったシンを我に変えさせる為にヴィーノが身体を揺らしたのだ。 「シン?」 「あ、ごめん。・・・・・・・・・・・えっと、ヴィーノは今上がり?」 「うん。これから漸く眠れる!」 凝りをほぐそうと両腕を上に伸ばし思い切り伸びをするヴィーノの顔には、疲れが色濃く映っている。しかし、疲労と共に達成感も感じられた。 ヴィーノは、今の整備士と言う仕事に誇りを持っている。それは、ヴィーノの仕事振りを見ていても判断できるし、ヴィーノ自身からも幾度となく聞かされている。 遣り甲斐のある仕事だと、自分に誇れる仕事だとも。 ヴィーノという人物は、何事においてもポジティブだ。そして、自分に正直な人間だ。人はそれを子供のようだと言うけれど、シンはそんなところが好きだった。 「お疲れさま・・・・・後、ありがとう」 「それが俺の仕事だしな!シンやルナマリア、レイたちが安心して戦闘に集中できるように常日頃から万全を期しておく。みんなの命を預かったも同然だから、絶対に手は抜けないし、抜く気もない」 「そっか」 「そう。だからシンは気にすることないよ。シンは、戦闘に集中しないと」 「ちゃんとしてるよ」 眉を顰め、シンは口を尖らせた。心外だ、と言わんばかりに。 そうだよな、と笑みを浮かべながら謝罪の言葉を述べるヴィーノの口許には、笑みが刻まれている。それはシンも同じだ。 「ところで、シン。さっきから何飲んでるんだ?」 「へ・・・・・?」 「だから、その飲み物。コップからして珈琲じゃない事は間違いないし、かといって色的にただの水じゃないし」 これが血の気が引く思いなのだろうか。 一瞬頭の中が真っ白になった。ものの見事に突然で、突然すぎて言葉が見つからない。言い繕わないと厄介な事になると分かっているにもかかわらずシンは言葉が出なかった。 「・・・・・・・・・・ノーコメント」 漸くひねり出せたのは、これだけだった。 この言葉を口に出すまで、シンは悶々と悩んだ。傍から見れば馬鹿らしいことこの上ないが。 何か言わなければ、言わなければと焦れば焦るほど脳は思考の活動を停止する。ぐるぐると言わなければ、という一種の強迫観念が付きまとうのだ。しかも、シンを見つめる2対の瞳、ヴィーノは真っ直ぐ自分を見ている。他意はないだろうがその視線が痛かった。それに、いつまでも黙ったままでいたらヴィーノの視線の中にいぶかしげなものが含まれるのは必至だろう。 「何もったいぶってんだよ」 「もったいぶってなんかない。でも、ノーコメント」 ヴィーノの視線が痛い。兎に角痛い。 教えろ、と五月蝿いくらいに瞳が訴えている。しかもだんだん顔を近づけてくるから更に困る。 ヴィーノの視線を避けるように、シンはそっぽを向いた。―――――入り口とは反対の方向を向いた。 しばしの沈黙が広がる。背中で感じるヴィーノの視線は諦めきれないのか、更に強くなっている。 早く諦めてくれないかな。胸の中に苦いものがこみ上げる。なんだか騙すような感じがして後味が悪いのだ。しかし、これが知られるわけにはいかない。知られたら最後、シンが大の甘党だと言う事実は瞬く間にミネルバ中に広まるだろう。そしてそれからしばらくの間はそのことでからかわれ続けるに違いない。 そしてその筆頭はルナマリア、メイリンだろう。 「ぁ、艦長」 へー、艦長・・・・艦長!? 「な、何で!?」 勢いよく立ち上がり戸口へ視線を向ける。タリアに自分がまだ休んでいないことが知られれば、まずいことになる。タリアの怒声は苦手なのだ。 驚きとおびえが入り混じった心境を抱えシンが振り向いた先に見たものは。 誰もいない、扉。 そう、誰1人としていなかった。これは一体どういうことだろうと、首を傾げそうになった瞬間、シンの中である1つの仮説が生まれた。出来れば、いや、絶対に当たって欲しくない仮説が。おそるおそる、それこそきしんだ音がしそうなくらい全身を強張らせてシンは振り向く。そして、目に飛び込んできた光景に言葉を失った。 シンが先ほどまで飲んでいたココアを、あろうことかヴィーノが口に含もうとしていた。 「ヴィ、ヴィーノ!?」 しかし、一歩遅く、シンの制止の声が飛んだ瞬間、ヴィーノは口に含んだ液体を嚥下していた。シンの瞳が驚愕に見開かれる。だんだんと視界から光が失われ、所謂視界が真っ暗になるというある意味貴重な体験をしていた。 が、しかし。 「・・・・・・・・甘」 「はうあっ」 たった一言、されどその一言は何よりも鋭意な凶器となりシンのナイーブな心の奥底を情け容赦なく攻撃した。しかし、攻撃者であるヴィーノはその事実に一向に気付かない。 「シンって・・・・・もしかして、もしかしなくても・・・・・甘党?」 「うぐっ・・・・・」 とうとう、この瞬間が来たのかと。シンは感傷の涙を流す。大切な今はもういない家族にこの事実を指摘されるのさえ男としてのプライドが木っ端微塵に砕けるような、居た堪れなさに襲われていたというのに、たまに正体不明の心拍数上昇症状を起こさせるヴィーノに知られてしまうなんて。 穴があったら入りたい。いや、今からどこかに掘ってでも是非入りたい。 「シン?」 「・・・・・・」 「もしかして、やっぱり知られたくなかった?」 「そ、そりゃー」 「だろうな。俺だって誰にも知られたくないし」 「だよな。ヴィーノもそうなんだ・・・・・・え?」 シンは、今一度ヴィーノの言葉を頭の中で反芻させた。今、ヴィーノは何と言った? 『だろうな。俺だって誰にも知られたくないし』 ヴィーノは確かにそう言った。シンの聞き間違いでない限り、確かにそういった。 確かに、同意の言葉を発した。 「も、もしかして・・・・・ヴィーノも?」 「うん。まー俺辛党でもあるから隠蔽工作とかしなくても平気だけどな。だから知ってるやつっていないぜ」 「へー・・・・・」 「何?俺もお仲間だってわかって安心した?」 「うん。世の中には甘党の男も俺以外に存在するんだって分かってかなり安心した」 このまま地べたに座り込みたいくらいに。 シンの表情は、それはもう腑抜けたものになっているのだろう。その証拠にシンの顔を覗き込むヴィーノは、隠そうともせず、声をあげて笑っている。非常に不愉快極まりないことだが、今はそんな事すら気にならないくらい安堵を覚えている。 一頻り笑ったヴィーノは、まだ魂が抜け出た状態のようなシンを尻目に、再びココアを口に含んだ。 ミネルバに乗艦して以来、ずっと甘いモノを口にしていないのだ。いくら辛党でもあると言っても、甘党である事にも変わりはない。甘いモノに餓えていた。 そんな時に都合よく、自分好みの甘さをしたココアがあるのだ。口にしないでいられるほうがおかしい。 「あー!何勝手に飲んでるんだよ!」 「そう硬いこというなよ。俺ミネルバに乗艦して以来甘いモノ全然飲んだり食ったりしてないんだよ」 分かるだろう。言外に告げると、シンは顔を歪ませたままではあるが同意するように小さく首を縦に振った。 「ってか、俺だって久しいんだよ。みんなの前で堂々と飲むわけにもいかないし」 「まーな。知られたら最後、ルナマリアにからかわれ続けるな」 「そう。だから今日は好機なんだ。ルナは今頃自室のベッドで夢の中、レイだってベッドで横になってて、動く気配なかったし」 「ヨウランももうそのままベッドに直行してたしな」 そこで会話は途切れ、2人は同時に大きなため息をついた。 甘いモノを口に出来ない事は、甘党としては辛いことこの上ない。しかし、露見した後自身に降りかかってくるであろう災厄を考えると、到底知られるわけには行かないのだ。 しかし、と。シンの心緒はヴィーノに変わった。 よもや、見つかるとは思わなかった。同じ甘党という味覚を持つものが。もっと早くに分かっていれば、プラントで見つけたお勧めのケーキを共に食せたというのに。 若干の後悔と、喜びを同時に心緒に住まわせたシンは、ヴィーノの真っ直ぐな視線に、ヴィーノから声がかかるまで気付かなかった。 「なーシン」 「ん、何?」 「今度さ、プラントで一緒に甘いモノ食い倒れツアーしない?」 「うん!したい!!」 「良かったー。実を言うとさ、おいしい所チェックしてるんだけど、1人だとどうも、な」 「分かる!!俺も結構チェックして、細心の注意払って極たまに買いに行くけど、たべ終わった後微妙に寂しさがこみ上げて来るんだよ」 「よし!んじゃー、プラントに戻ってすぐの休暇に、行こうぜ?」 「ああ、約束な!」 上機嫌で頷くと、シンは満面の笑みを浮かべ小指を差し出した。 これは、約束を交わすときに行う儀式のようなものだ。昔あった島国に伝わるものだと、幼い頃妹と共に母に教わったのだ。 それを、シンはプラントで出来た友人――ヴィーノとヨウランを筆頭――に教えたのだ。 ヴィーノはすぐにシンの意図を悟り、自分の小指をシンのものに絡めた。それを見届けて、シンは教わった歌を歌おうと口を開く。 「指きりげんまん、嘘ついたら針千本飲ます、指きった」 約束だからな、と念を押すシン。ヴィーノはただ笑むだけだ。しかし、その様子を心は訝しげに思うことはなかった。そのまま小指を離そうとすると、ヴィーノは絡める力を強くした。 「ヴィーノ?」 「約束だからな。プラントに戻ったら、一緒に甘いモノ食い倒れツアーに行くって」 「うん。ヴィーノこそ、忘れるなよ?」 「・・・・・・・だから」 一旦そこできると、ヴィーノは真っ直ぐシンを見つめる。普段の陽気さが考えられない位真剣な、張り詰めた雰囲気で。 「ヴィーノ・・・?」 「死んだり、戻ってこなかったりしたら、許さないからな」 「ヴィーノ・・・・」 驚くシンにお構いなく、ヴィーノは先の戦闘から戻ってきた時と同じように抱きついた。 あの時は、興奮と、感動とがごちゃ混ぜになり、何も怖くなかった。戦闘へ勝利したこと、パイロット3人がきちんと戻ってきたこと、シンが活躍したこと、その全てが嬉しくて、友人たちを自慢に思った。 しかし、だんだんとその興奮が冷め、冷静になるに連れて、その時感じた興奮は薄れ、次第に不安が押し寄せてきた。じわりじわりと、ヴィーノの中に浸透しつつあった。 いつ、何が起こっても今はおかしくない。少し前であれば、まだ戦争は再び起こっていなかったので、そこまで心配には及ばなかった。 だが、今は違う。情勢が変わったのだ。何より、艦の修理を行ってくれたオーブが、出航と同時に敵となったことこそ、その表れだ。そして、実際シンは危なかったと言うではないか。 一体何が起こったかはわからないが、シンは自身の能力によって事なきを得たが、そうそうそんな幸運が続くとも限らない。また、先の大戦のように戦火はどこまでも広がるかもしれない。 それを考えると、ヴィーノは喪失の不安を、恐怖を、自らの奥深くに封じ込め隠すことが出来ないでいた。 「絶対、だからな・・・・・。約束破ったら、本当に針千本飲ませてやる」 「・・・・・・・・・」 「破るなよ、絶対、ここに・・・・・帰って来いよ・・・・・」 シンにしがみつくヴィーノの身体は、声はかすかに震えている。抱き疲れているシンは、ヴィーノの顔を見ることは出来ないが、その顔が今にも泣きそうになって歪んでいると、容易に想像がついた。 ますます力を込めるヴィーノにこたえるように、シンはヴィーノの背に腕を回し、その震える身体を抱きしめた。 そして、ヴィーノが先ほどシンにしたように、意図は違うけれどもその背を優しく叩いた。 大丈夫だ、と。自分は帰ってくる、ここへ、ヴィーノの元へちゃんと帰ってくると。 「シン・・・・・」 「ヴィーノ・・・・」 何か、動かす力があったのだろうか。まるで引力に導かれるように、それがさも当然のように、2人の姿は重なる。 触れ合うそれは、甘く、夢のような心地を与えた。 貪るように、ただただ求める2人は、何かに導かれるまま、唇を重ねた。
あとがき |