■第5章〜運命の下〜■ なんて静かで、寂しいところなのだろう、と。 ここに最初に踏み入れたとき感じたのはそんな在り来たりな感情だった。薄暗く、しかしどこにも陰湿な空気を感じさせないこの部屋は、本当に静か過ぎた。ただ歩いているというだけなのに素晴らしく響くその音は、時折その音を創り出している者自身でさえも驚かせてしまうほどだった。 虚ろな目をしたフレイは、そのまま迷うこともなく、ラクスが閉じ込められているであろう牢の前までのそのそと歩いた。 心臓がばくばくと、今にも破裂してしまうのではないかと思うくらい大きな音を立てている。 凶器を持つ手が、うっすらと汗ばむ。 これから自分が為そうとしている事に怖気づいているようだ。 何しろ、人1人の命を奪い去ろうとしているのだから。 その行為の罪深さや、背負うものの大きさを知らずに。 「こんばんは」 人の気配がする牢の前に行き、そう声をかけると、中にいるラクスはフレイのほうを振り返り微笑みながら返してきた。しかし、その瞳は全く笑っていなかった。 「こんばんは。こんな所に何か御用ですの?」 「貴女に会いに来たの」 「私に・・・・ですか?でも、何故?」 眉をひそめながら顔に手を当てて考え込むラクスは、お世辞抜きで絵になった。 元々整った顔立ちをしている上に、プラントではトップアイドルとしてその名を知らぬ者はいないほど有名である。 「兎に角、鍵持ってきているからここじゃない方がいいでしょ?」 「・・・・・それは、裏切り行為とみなされますわよ?」 「大丈夫よ。絶対に」 不敵な笑みを浮かべ、大丈夫だと言い切るフレイをどこか不安げに見つめつつ、心の奥底で嘲笑うラクスは、ゆっくりと動き出し、ゆっくりと鉄格子のはめられた扉へと近づいた。 フレイの目的は赤子の手をひねるより簡単に分かりきっていた。 自分の、ラクスの命を奪い去ること。 がちゃり、と機会特有の音を響かせ鉄格子の扉は開かれる。 ラクスはゆっくりした歩調で外に出るとフレイと向き合い頭を深々と下げた。 「ありがとうございます」 「別に、お礼なんて言わなくてもいいのよ」 「ですが、これだけの事をしてくださったのに、何も御礼をしないというのは、私が許せません」 これだけは譲れない、そう言わんばかりの勢いでフレイに近づくと、彼女は少し後退しながらもこのチャンスを見逃さなかった。 「じゃあ、お願い聞いてくれる?」 「私で出来ることならば」 「じゃあ・・・・・」 そう言って俯くと、フレイはラクスを押し倒し、隠していたナイフを振り上げた。 「死んで!!!!!」 「きゃぁぁぁぁ」 2人の声が牢内に響くのを感じながら、カガリは誰かが来るのも時間の問題だと思った。まだキラからの合図は感じられない。それがなければ、カガリは動こうにも動けなかった。 最初は自分で見計らってラクスとフレイの間に入れ、と言われていた。しかし、いざ身を隠すときになって、自分が合図を送るまで動くなと言われた。そんなころころ変えるな、と言いたかったものの、こちらに向かってくる靴音はどんどん大きくなっていたので、渋々従うことにしたのだが。 「一体いつまで待機していなくちゃいけないんだ・・・・」 ラクスに限って本当に危機が迫っているとは思えなかったが、万が一という事もあるのだ。何万分の一の確率だろうが・・・。 そんな風に、愚痴をもらしていたとき、頭の中に声が響いた。 耳から伝わってきた音ではなく、直接脳内に響くその音。 『あ、カガリ・・・そろそろお願い』 「遅かったな・・・・」 『・・・・・本当はもう少し大丈夫だとは思ったんだけど、これ以上は僕が駄目みたい』 「・・・・・・・・ばーか」 『うるさいなぁ・・・兎に角、お願い』 「了解」 そういって、頭に響く声・・・つまりキラなのだが、そのキラの声がしなくなったのを確認してカガリは、さも今来たというように肩で息をしながら2人を、と言ってもフレイをなのだが、止めにかかった。 「お前ら、何してるんだ!!!」 「邪魔しないでよ!!!」 聞く耳持たずのフレイは今も抵抗しているラクスの上に圧し掛かって、ナイフで刺そうとしている。 流石のラクスも今の体制じゃもしかするとどこか怪我を負うかも知れなかった。 兎に角自分のすることはフレイとラクスを放れさせてラクスの人質になること。 そう自分に言い聞かせて、カガリはフレイの背後に回った。 「ちょっと・・・・放しなさいよ!」 「何やってるんだ、お前は。捕虜に手を出すことは条約で禁止されているんだぞ!?」 「そんなの知ったことじゃないわ!!」 「自分本位に物事を進めるな!!!」 背後から取り押さえられ手にしていたナイフさえも取り落としてしまったフレイはじたばたともがくものの、カガリの力は予想以上に強く、どれだけフレイが暴れてもびくともしなかった。 怒鳴りながらもカガリはその視線をラクスに向けた。 ラクスも、カガリを見つめて、荒れていた息を整えながら落ちているナイフをその手に取りじたばたともがいているフレイに切っ先を向けた。 「!!・・・・・何よ!!」 「だから・・・だからナチュラルは愚かなのかしら・・・・」 「何ですって!?」 「まさかとは思っていたけれど、本当に思ったとおりに行動してくれるとは思いもしませんでしたわ」 そういって明らかに見下したような笑みをフレイに向けるとラクスはゆっくりと2人に近づいた。 慌てたのは、もちろんフレイのみで、カガリにいたっては、早くブリッジクルーが来ないかとはやる気持ちで背後の入り口の方からの音に耳を傾けていた。 「牢から出してくれてありがとうございます。これで心置きなく戻ることが出来ますわ」 「なっ・・・・脱走するつもりなの!?」 「当たり前じゃないですか。それに、私本当のところ正規の軍人ではありませんもの。父たちとの約束を違えるわけには行きませんわ」 「逃げられるはずないわ!!」 「いいえ、そんなことありませんよ。貴女のお陰で」 「・・・・・・・どういう意味よ・・・・」 「言葉どおりですわ」 ひたすら微笑みながらラクスは喋る事をやめなかった。これは単なる時間稼ぎなのだが、フレイにとっては自分を見下しただから馬鹿にしているだけにしか聞こえなかったのだろう。体が怒りのあまり震えている。 カガリは、正直に今のラクスと対峙するのは御免だと思っていた。 きっと今のラクスにふさわしい形容の仕方は「最強」と言うものなのだろうと、こんな緊張するべき場面で考えてしまう自分が嫌だった。 しかし、それ以上にラクスへの恐怖が募っていた。 決して敵に回ることはないものの、これはこの艦から脱出するための茶番だと知りながらも背筋に流れる冷たいものは現実のものなのだから・・・・。 そのとき、背後から複数の足音が聞こえてきた。 どうやら走っているようで、後数十秒もしないうちここに到着すると思われた。 カガリは今までの考えを捨て、真剣な面持ちでラクスを見つめたあとうなずいた。ラクスもそのカガリの行為で彼女の言わんとする事を悟り、時間稼ぎのお喋りを止め2人に近づいていった。 フレイは近づいてくるラクスから逃れるように更にじたばたともがくが一向に拘束の手は緩まずそれでも暴れるのを止めなかった。ラクスへの暴言も一緒に。 「近寄らないでよ!!・・・あんたなんか死んじゃえばいいんだわ!!」 みっともない悪足掻きだと思いながらも、顔を顰めたくなる衝動を押し込めて、ラクスはフレイに近づいていく。 そして、いきなりフレイを弾き飛ばしカガリを背後から拘束してフレイの持ってきたナイフをカガリの首筋に当てた。 「皆さん動かないでくださいね。私ナイフなんて生まれてこのかた果物を切るぐらいしか使ったことないんですの。どうなっても知りませんよ?」 弾き飛ばされたフレイは、理解不能な顔をして2人を見つめたが、ラクスの視線はフレイの背後にある入り口だった。誰もいないのに、何を言っているのだろうと、頭でもおかしくなったんではないのかとフレイは思ったがその考えはすぐ覆されることとなった。 「いい加減出てきたらどうですか?」 そういっても返ってくる答えはない。しかしラクスはそれを止めようとはしなかった。 「彼女に何かあれば、責められるのはそちらですよ?」 それでも返ってくる答えはない。 「・・・・・・・あくまでもそこで私を撃ち殺すとでも?そんな事をしましたらあなた方はただの殺人者ですわね。私は正規の軍人ではないんですから」 この言葉で、背後にいるものたちに動揺が走った。 きっとラクスが言ったことは全て的を得ているのだろう。 「もう1度言います。いい加減姿を現してくれません?」 最終通告ですよ、とにっこり付け加えながら入り口を見据えていると、観念したように見覚えのある顔がぞろぞろと姿を現した。 「・・・・・・・・何が目的なの?」 「何って・・・分かりきった事を聞かないでください。私がそろそろ戻らないとこの艦に付かず離れず状態のザフトの艦がこちらに一斉攻撃をかけてしみますから」 「何だと!?」 「おいおい・・・・そんな物騒なこと笑顔で言うなよ、嬢ちゃん」 「ではどのような顔で言えと?悲しそうにですか?それとも焦った様にでしょうか」 「・・・・・・」 「マリュー・ラミアス艦長、ナタル・バジルール中尉、ムウ・ラ・フラガ少佐、それにブリッジクルーであるサイ・アーガイルですか」 自分の名を呼ばれたこの4人は驚きを隠せずにラクスを信じられないように見つめた。 「まさかこの艦で最も重要なポストに就く方々がお出ましだとは思いもしませんでしたわ」 「こういう事が起きるかもしれなかったからね、そこで座り込んでいる嬢ちゃんを止めるのは俺たちぐらいしか出来ないだろうと思ってね」 「そうですか。でも少々来るのが遅すぎましたわね」 「みたいだな」 表面では取り繕っているものの、フラガは大分焦っていた。 一見何の害もないこの少女は、今誰もを圧倒させるオーラを発している。背筋が凍る気分と言うのは、戦場でしか味わったことがないフラガがこうなのだから、きっとマリューやナタル、そしてサイにいたっては背筋が凍るというものではないだろう。 実際、フラガ以外の3人は全く動くことができずただラクスを凝視することしか出来なかった。 そんな風に冷戦状態になったこの場を動かしたのはやはりラクスだった。 これ以上この場に残るのは得策でないと考えたのだろう。 「行きますわよ」 カガリにしか届かないほどの小さな声で告げると、ラクスは一歩一歩入り口へと歩き始めた。 「そこをどいてください」 「・・・・・それはちょっと出来ない相談だな」 「そちらに止められる権利はありませんわ」 「だがな・・・」 「この方がどうなってもよろしいの?確か、彼女はオーブの重要人物ですわよね?」 「そ、それは・・・・」 「もう1度言います。そこをどいてください」 冷たく言い放つものの、4人がどくことはなかった。 ラクスはそんな彼らの行動を褒めつつも、打開策は何かないかと思案を巡らした。 そして、思いついたのは大切なペットロボットの存在。 我が侭を言って彼にある機能を付けて貰っていた事を思い出した。よもやこんな所で役に立つとは思っていなかったが。 ラクスは迷うことなくその機能を使うためにペットロボットの名を呼んだ。 「ピンクちゃん、暴れましょう」 それが解除のパスワード。 突如背後から現れた丸型でピンクの、ハロと言う名のロボットは誰もが目をつぶってしまうくらい強烈な光を発した。 そして。 次にマリューたちが目を開いたとき、そこにラクスの姿もカガリの姿もなかった。 |