「お待たせ!!」

場の雰囲気を見事に察知しない彼女は、そのまま快活な足取りで室内に入ってきた。そして当然のように青年の隣に腰をおろした。手に持つおぼんの上にはお茶。そしてお茶請けの和菓子があった。

彼女は不慣れな手つきでそれを順々に並べると、一仕事を終えた達成感を感じているのか満面の笑顔を浮かべた。

家主は、娘に持ってきてもらったお茶を口にすると、チラッと横に座る銀糸の青年に視線を送り口を開いた。

「彼は、イザーク・ジュール君。君の一つ上で、考古学を専攻している学院生だ」

「はじめまして、イザーク・ジュールといいます」

家主の紹介に、銀糸の青年が社交的に手を差し伸べてきた。その手をとり握手を交わすと、青年も自分の名を口にした。

「はじめまして、アスラン・ザラです」

しかし、どこにも感情の機微は映らなかった。

「今日君を呼んだのはね、他でもないそこのカガリのことだ」

「カガリの、ですか?」

瞳が困惑に揺れた。横では話題のカガリがそことか言うな、と抗議しているが、誰も取り合おうとはしなかった。

話の趣旨がつかめないアスランは、促すように家主、ウズミを見た。

「ああ。カガリのことだ。君に、カガリと別れてもらいたいんだ」

「・・・・・・・・・・・・は?」

「ちょっ、お父様!!話が違います!!」

一瞬何を言われたのか分からなかった。横で立ち上がり抗議するカガリの声も、聞こえてはいるが、遠い所から聞こえているような感覚だった。

あまり表情が動いていないので分からなかったが、一瞬眉が動いたのに気付いたイザークは、じっと観察するかのようにアスランを見ていた。しかし、一時的に思考がとまってしまったアスランはその視線に気付く事はなかった。

「カガリ、お前は黙っていなさい。私はアスラン君と話しているんだ」

「だけど!!」

「ちょっと、待ってください。・・・・・・・あの、なんで俺がカガリと別れなきゃいけないんですか?」

「それはだな」

そう言って、ウズミは彼の隣に座るイザークが、カガリの婚約者だということを教えてくれた。生まれたときに、彼と、イザークの母親が将来結婚させましょうと約束していたそうだ。双方適年齢にいたるまで内緒にして。

勿論カガリは反発している。イザークに至っては、我関せずの姿勢を崩さない。

大体の話の内容が分かったアスランは、ここへ訪れたことを後悔した。やはり、面倒なことに巻き込まれている。

「アスラン君には悪いが、カガリはイザーク君と結婚するんだ。だから、酷なことを言うようだが、別れて欲しい」

「お父様!!それでは私たちの気持ちはどうなるのですか!!」

「お前は黙っていなさい!!」

ウズミも立ち上がり、アスランの頭上では怒声交じりの口論が遣り取りされる。

アスランは、誰もが明らかなようにため息をついた。そして、不機嫌な声音で言葉を紡いだ。

「別れるも何も、俺はカガリさんと付き合った覚えはありませんよ」

「え・・・」

「なんだって!?」

途端頭上の口論は収まった。瞠目したカガリが、明らかに傷付いたかのようにアスランを見つめる。ウズミも再びソファーに腰掛け、真剣な表情でアスランを見た。我関せずであったイザークも、この言動には驚いたらしく、疑問符を浮かべた表情だった。

「ですから、俺はカガリさんとはただの知人でしかないんですけれども」

「し、しかし、君はよくカガリと出かけていたじゃないか」

何をうろたえる必要があるのか、ウズミはアスランの言葉を否定するかのように事例を挙げた。しかし、事実は事実でしかないので、懇切丁寧にアスランは答えた。

「それはいきなり呼び出されて仕方なくのことです。用事があれば断ってますし、大概途中で俺は帰りますよ」

「で、では何故今日ここに来たんだね?」

「のんびり過ごしていたらいきなりメールが届いたんです。一方的に来い、と。行かなかったら後で五月蝿いと思ったんで来たまでです」

言い切ると、途端その場は沈黙に包まれた。明らかに気落ちしているカガリが横にいたが、アスランは敢えて無視していた。一応これでもそれなりに多忙な毎日を送っているので、マル一日休みのような今日は貴重なのだ。それをこのような不愉快な気持ちにさせられるのは腹立たしかった。

「カガリ、何故アスラン君が恋人だと嘘を言ったんだ」

問い詰めるように厳しい視線は、カガリに向けられる。カガリは、きっとウズミを睨みつけると横に座るアスランに視線を向けた。そして、立ち上がり、怒鳴るように言った。

「私は恋人だと思ってた!!私はずっと、初めて会ったときからお前が好きだった。例えあいつのおまけでも優しくしてくれて嬉しかった。あいつがいなくなって、まるで人が変わったお前が心配だった・・・・・このままじゃいけないって、思って・・・・だから」

最後のほうは、目に涙をためながら、カガリは自分の心の丈をアスランにぶつけた。

カガリの言葉が続くうち、アスランの表情が、今もほとんどない表情が消えていくのにも気づかずに。





言い終えて、肩で息をつくカガリは、すがる思いでアスランを見つめていた。

彼女の中に過ぎるのは、穏やかで見惚れるような笑みを向けてくれる、アスラン。その笑みが大好きだった。他の女の子には向けられない、特別な笑み。彼にとって自分は特別な女の子なのだと。その事実が凄く嬉しかった。

それなのに。

今はその笑みが嘘のように、何も感情が映らない。声音だって、そうだ。優しかったあの声音はもう自分には向けられない。

それが、酷く悲しく、嫌だった。

だから、自分に婚約者がいると告げられたとき、カガリは反発するものの、内心ではこれでアスランの心をつかめると、喜んだのだ。自分の恋人はアスランだと、ウズミに向かって言い切ったのだ。



「俺の気持ちはどうでもいいと?」

「アスラン・・・・」

「好きならば何をしても許されると思っているのか?」

「違う・・・・私は」

「俺はもともと感情がほとんどない人間だ。だからあいつがいなくなってこうなるのは必然なんだよ」

ぎゅっと拳を強く握り締め、下に視線を落として。決してカガリを視界に入れようとはしなかった。怒りで、身体が震えているような気がした。

「別に君に心配されるいわれはない。それに、俺は自らこの現状を選んだんだ。誰にどう言われようとも別に俺はこれで満足しているし、そういった偽善の押し付けはかえって迷惑だ」

「・・・アス・・・・ラン・・・」

「おじさん、失礼します。・・・・・・・ご婚約おめでとうございます」

そういって立ち上がると、唖然としたウズミとイザーク、泣きじゃくるカガリの視線を背に感じながら部屋を後にした。

カガリのせいで、胸がずきずき痛む。

君がいない、この世界。全てモノクロに見えるんだ。

俺に感情をくれたのは、君。

君がいなければ、感情なんてないも同じ。そう、同じなんだ・・・・・。

気分が悪かった。すぐさまこの家から、あの部屋から遠くに行きたかった。一直線に玄関へ向かっていると、突然リビングに繋がる扉が開き、見知った、懐かしさを思い起こす人物が現れた。

「小母さん・・・・」

「久しぶりね、アスラン君」

笑う彼女の笑みは、思い出の中にある笑みとは違い、悲哀が混じった笑みだった。





あの頃が、一番俺の人生で輝いていたんだ。君が、隣りにいたあの頃が。