「・・・お久しぶりです」 「今日は、どうしたのって・・・・・カガリかしら?」 苦笑を浮かべる女性――カリダは、申し訳なさそうにアスランを見た。アスランは頷く。今日は確かにカガリの呼び出しでこの家に来たのだから。 彼がいなくなってから、一度として訪れなかったこの家に。 「ごめんなさいね、アスラン君。あの子またあなたに迷惑をかけたんじゃないかしら?」 「迷惑、というか。恋人って事になってました」 「まぁ・・・・本当にごめんなさい」 カリダを前にしてもアスランの表情に変化はない。しかし、付き合いが長いからか、はたまたカリダ故だろうか。彼女は正確にアスランの感情を理解していた。 心底申し訳なさそうに謝るカリダに、アスランは言葉を濁す。別にカリダを責めているわけではないのだ。ただ、ありのままに伝えただけなのだ。それだけなのに、カリダにこのような表情をさせてしまう事は歯痒く、自分の口下手の酷さを恨みたくなる。 カリダは、アスランにとって第二の母といっても過言ではない存在。 実母であるレノアの笑顔とは違った彼女の笑顔は、人付き合いの苦手だったアスランにも苦手だとは思わせずに彼女と付き合えるようにしてくれた。 彼との関係も、そうだ。 彼との関係に悩んでいたときも、親身になって相談してくれた。彼の身に起こった悲劇に混乱し、動転していたアスランを、叱咤し、冷静さを取り戻させてくれたのも彼女だった。 感謝してもし尽くせないほどの恩をアスランはカリダに抱いている。 「・・・・えっと、その・・・・」 「カガリも、私の娘。あなたに迷惑をかけたんだから、親の私があなたに謝る事は当然のことよ」 「しかしっ」 「アスラン君は優しい子ね」 「そんなっ・・・・・事は・・・」 昔と同じように頭を撫でてくるカリダの笑みは、どこまで優しく、温かく、彼に似ていた。しかし、そこには以前なかった寂寥がある。そして自分も。アスラン自身も、昔のように感情は表情に浮かばない。 「ねえアスラン君。まだ、時間はあるかしら?」 「え・・・・はい。大丈夫ですけど?」 「だったら、お願い聞いてくれない?」 「はい?」 突然の申し出にアスランは数度目を瞬かせる。彼女は何も言わないアスランの返事を肯定だと判断し、ついて来て、と言って手招きした。 連れてこられたのは、ネームプレートのかけられた、閉じた扉の前。 “Kira’s room” そうかかれたプレートは、アスランの胸を締め付ける。何度も見慣れたそれを見るのは、本当に久しぶりで、しかし、懐かしいとは感じず、ただ胸の痛みだけを残す。 カリダは何も言わずその扉を開いた。 ふわりと扉の隙間から部屋の空気が漏れる。そして、今はいないかの人の匂いがアスランの鼻をくすぐった。 窓を見れば、彼の好きだった色の、シンプルなカーテンが閉じたままだった。ベッドも、今朝も彼がここを使ったのではないかと思うくらい、そのままだった。 机の上にはやりかけた問題がノートシャ−プペンシルと共に無造作に広げられている。机の右横にあるパソコンの傍には、彼が手がけたプログラムを納めたROMが積み重ねてあった。 この部屋は、まだ彼が、キラが生活していたままを残している。 カリダは、俯き、言葉を失っているアスランを横目で見て、そのまま室内へと進んだ。真っ直ぐ窓へと向かい、閉じられていたカーテンを開く。太陽の光がこの部屋を満たした。カリダはそのまま窓も開けると、漸く口を開いた。 「笑われてしまうかもしれないけれど、どうしても片付けることが出来ないの」 「小母さん・・・・・・」 「あの日、あの子が倒れたあの日のまま、物を動かせずにいるの。掃除はきちんとしているんだけどね」 「・・・・・・埃、ありませんもんね」 ものは雑然としていて、床には雑誌や服が無造作に落ちている。お世辞でも片付いているとは言いがたい部屋だ。しかし、不思議と埃はどこにもなかった。あの日と全く同じまま時を止めているのに、埃を被ったものは何一つないのだ。 「なんだか、この部屋を掃除するたび、ここに来るたびに思うの。キラがひょっこりバツの悪い笑みを浮かべて帰ってくるんじゃないかって」 「小母さん・・・・・」 アスランのほうを振り返り語るカリダの瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた。キラがアスランの中で世界の中心であったように、カリダの中でも中心でいたのだ。例えカガリがいるにしても、過ごした年月は、手塩をかけて育てた日々は。決して比べてはならないと分かっていても、比べてしまうのだろう。 欲する存在は、もうこの手に戻ることはない。そのことが、どうしようもないくらい悔しかった。 「あの子がね、来春から自分の部屋とこの部屋をつなげたいって、言い出したの」 「え・・・・・・」 「ウズミもね、早くこの部屋を整理したかったみたいで・・・・・」 「じゃ、じゃあ・・・・・」 「この部屋、なくなってしまうの。あるものは全て、処分するって・・・・」 「な・・・・なんっ・・・・なんで!?だって、ここは、キラの」 カリダの言葉が信じられなくて、この部屋が失われることが嫌で。気付けばアスランの声は震えていた。感情が、声に宿っていた。 ここはまだキラの部屋で。ここには共に過ごした穏やかな時間の思い出が詰まっていて。 確かにここへ赴くと胸が張り裂けんばかりに痛むし、彼の存在がないことを実感させられてしまう。しかし、だからと言って全てが目を塞ぎたくなるような思い出ばかりではないのだ。この部屋で過ごした時間、想いは、確かに輝いている。この部屋で作った思い出は、今も色褪せる事無くアスランの胸の中にある。 「・・・・・だから、キラのものが処分される前に、アスラン君にお願いがあるの」 「なん、ですか・・・・」 「キラのもの、一つでもいいから、貰ってくれない?私だったら隠していてもいつかは気付かれてしまうし・・・・けど、全てを捨てるなんて・・・・」 先に続く言葉は、カリダの涙に妨げられた。 彼女の想いが、アスランには痛いほど伝わった。きっとウズミからこの話を持ち出されたとき、それはもう普段の彼女では考えられないほどの剣幕で反対しただろう。けれど、その意見は聞き入れてもらえず。 自分がその場にいたって、カリダと同じように反対した。この部屋は、キラのものだ。ずっと、そうだった。これからもそのはずだった。カガリだってそれを承知だと思っていた。 一方的だとはいえ、裏切られた気がした。 今日で、彼女に対しての感情がどんどんマイナスに転げ落ちて行くのを感じる。 必死で声を抑えて、懸命に笑おうとするが失敗するカリダの姿が、痛々しくて見ていられなかった。 ねえキラ。どうして君は、ここにいないの? |
← |
→ |