涙を拭ったカリダは、恥ずかしい所見せてごめんなさいね、と腫れぼったい目を隠すように微笑みながら言った。その姿がまた、彼女の痛々しさをより強く感じさせた。

アスランは、心中で歯噛みしながらも、カリダの言葉に従うことにした。キラのものを、今ここにある彼のものをもらうことにした。

「ちょっと、選びたいので・・・・しばらくいいですか?」

「ええ。終わったらリビングに顔を出して頂戴。そこにいるから」

カリダが部屋から出たのを確認した後、アスランは、ぐるりと室内を見渡した。

まだ、キラがいた痕跡を色濃く残すこの部屋を。幼い日々、多くの時間を共にしてきたこの部屋を。



―――――もう、この世にはいないこの部屋の主と共に。



「・・・・・何で、いないんだよ。キラ・・・・・」

こぼれた声には、悲哀と痛切が入り混じっていた。

キラがいなくなった後から消えてしまった感情。いや、凍り付いてしまった心。

しかし、このときアスランの表情には、苦渋が浮かんでいた。

























結局その日の内にどのキラの遺品を持ち帰るか決められず、アスランは後日再び訪れることをカリダに約束して懐かしい家を後にした。本来ならば一人暮らしをしている5駅ほど遠い所にあるマンションに帰るのだが、今日はその気にもなれず、カリダ宅から数分歩けばある実家に足を向けた。

何の連絡もしていないので、突然帰れば母が怒るだろう。父だって驚くはず。しかし、温かく迎えてくれることは確かだ。

弱気な自分らしく無いな、と情けなさがこみ上げたが、それでもたまには甘えないと拗ねてしまいそうな両親にここぞとばかり甘えないでどうする、と叱咤する声も頭の中で響く。

全ては実家の敷居をまたげば分かることだ。

久しぶりに楽天的な気分になったアスランは、考える事をやめ暮色の中に仄かに灯された実家の明りを目指した。









「まぁ、アスラン・・・・帰ってくるならそうと連絡してくれなきゃ困るじゃない!!」

帰って早々、実母から飛び出た言葉はそんなものだった。

予想を裏切らない辺り、我が母だな、と納得する自分がいるのをアスランがいる。昔から変わらない彼女に、嬉しい反面切なさもこみ上げる。

変わってしまった自分に対して、彼女に申し訳なくなる気持ちもある。

「申し訳ありません、母上。今日はどうしても、帰りたくなって」

「・・・・・・まぁ。明日は雨ね」

「へ?」

「ほらほら、早く上がりなさい。今日はあの人も早いから今でテレビを見ているわ。驚かしてあげなさいよ」

穏やかに笑う母の笑みは、カリダとかすかに被るが、それでも昔から変わらない、強さと包容力を感じる笑みだった。

スリッパに履き替えたアスランの背を強引に押しながら、リビングへと向かわせる彼女の楽しそうな表情に、波打っていたアスランの心は静けさを取り戻す。

「オイ、誰だったんだ・・・・・・!?」

「ただいま、父上」

「見ての通りですよ、あなた」

「・・・・・・・・・・全く、帰ってくるなら連絡の一つくらい寄越さんか」

ふい、と外された視線にアスランは若干戸惑いの色を見せる。それに気付いた母――レノアは、安心させるようにアスランの耳に囁いた。

父――パトリックはただ、照れているだけなのだと。

よく見てみると、新聞に目を通す彼の耳は、普段よりも赤みが増していた。文字を目で追っている彼の意識もどことなくそぞろであったし、普段感じる威厳や威圧が少ない。

歓迎されてない、ということはないらしい。

ニコニコと嬉しそうに微笑むレノアに、アスランは小さく首肯すると、パトリックが座っているソファーに横がけた。

一瞬のパトリックがアスランに視線をやったが、それは忌み嫌うようなものではなく、アスランの行動に驚いた、と言うような視線だった。それもすぐになくなると、ほんの僅か目元を細めたパトリックは再び新聞の文面に目を落とした。

そんな不器用な二人を見つめながら、やっぱり親子よね、と妙に納得したレノアは、途中である夕食の支度を思い出し慌ててキッチンへと戻っていった。





その日、ザラ宅には久しぶりに一家団欒の姿があった。





























翌日。

実家に泊まったアスランはいつもよりも通学時間にゆとりがあった。普段ならば三十分かかるが、実家からだと十五分ですむのだ。

この十五分の差は小さいようで大きい。十五分あれば珈琲だって味わいながら飲むことが出来るし、新聞もざっと全てに目を通すことが出来る。

そんなわけでアスランは珈琲を片手に新聞に目を通していた。庭先ではレノアが洗い立ての洗濯物を干している。布団も干そうかしら、という声が聞こえるので、今日はどうやら快晴のようだ。

「アスラン、早く飲み終わりなさい。それと、時間大丈夫なの?」

「あ・・・・・後五分は大丈夫」

ここ数年世話をやかれない生活をしていたので、久しぶりに世話をやかれると妙に気恥ずかしい。だからといって嫌という事は決してない。

視線を新聞の文面に向けながら、アスランは気の抜けた返事で持ってレノアの声に返した。彼女だって庭に通じる窓で干す洗濯物を手にしながら声をかけているので視線がアスランに定まっているわけではない。

どっちもどっちだ。

最後の文面をざっと読み終わると、興味のない番組欄は除外してアスランは新聞を読破した。読み終わった新聞を折りたたむと、食べかすがかすかに残る食器の隣に置き、使った食器を流し場へと運んだ。ゆすぐ所までしたかったが、新聞に時間をかけすぎたようでそろそろ家を出ないと間に合わない。

ドアの傍に置いていた鞄を肩にかけ、そこから窓の方へと向く。

「母上、そろそろ行かないと間に合わないんで、行ってきます」

「はーい、行ってらっしゃい・・・・・・・・・・・・・・・・あ、今日はどうするの?」

窓から顔を覗かせた彼女の視線は、今度はアスランの視線と交わる。アスランは少し考えて頷いた。

「今日もこっちに帰ってきます」

「分かったわ、行ってらっしゃい」

アスランの返答に、レノアの笑みは深くなった。アスランは行ってきます、と再び言うと、玄関に向かった。