交通機関を乗り継ぎ、アスランは在学中の大学へと辿り付いた。 実家から六駅ほど離れたこの場所。一人暮らしをしているマンションからは一駅で済む。やはり通学については不便だな、と感じながら、アスランは大学の門をくぐった。 そして、そのまま真っ直ぐ校舎とは反対方向へと進む。アスランと同じ方向へ行く生徒など、全くいなかった。サボる、というわけではない。アスランが師事している教授の研究室が、アスランが向かっている方面にあるのだ。 教授に呼び出された時間は数分後。アスランと同じゼミを取っているものは、既に研究室の中にいるのだろう。 やけに古い、今時ではおそらく珍しい開き戸をガラガラと音を立てながら開くと、心なしか一礼して中へと入った。既に中でくつろいでいる生徒達の視線を集めるものの、アスランの表情はいたって涼しげだ。というよりも、無表情なだけなのだが。 少人数、ということもあり、現在のゼミ生は十数人である。他のゼミはこの倍、二十数名ほどいるのだ。だから、というわけでは決してないだろうが、むしろ教授の趣味だと思いたいが、この研究室では生徒一人一人に椅子と机があり、その席は決まっていたりする。月に一度、コンピュータープログラムを利用して席替えを行う形式なのだ。 余計かもしれないが、一応彼らは大学生であり、ここは高校ではないということを明記しておく。 ちなみに、アスランの席は幸か不幸か教室の一番後ろの右端である。前は一学年上の先輩で、隣は同学年の女子である。 アスランが席につき、何気なく隣を見ると、まだ隣席の女子生徒は来ていなかった。遅刻かもしれない。 アスランは其処まで考えると、自分には関係ないか、と見事に切り捨て、筆記具を鞄の中から取り出した。 間もなく時計が規定の時刻を指し前方の入り口から、初老の穏やかな雰囲気を纏った男がゆったりとした動作で入ってきた。そして、当然のように教鞭に立った。 やはりゆったりとした動作で全体を見渡すと、ある一点で視線を止めた。アスランの隣に空いている空席に。 「・・・・そこは誰かね、アスラン・ザラ」 そう初老の男性――教授がアスランに尋ねたその時。開き戸が勢いよく開かれた。視線が扉を開けた主に集まる。 「す、すいません・・・・・お、お・・遅れ、ました・・・はぁ・・・」 開けた戸にもたれかかるように立つ女子生徒は、鮮烈な存在だった。何しろ髪が燃えるような赤なのだ。完全なる赤ではない、桃色に近い、しかし際立つ赤色。 肩で息をつきながら、その女子生徒は何とか言葉を紡ぐ。遅刻せぬようここまで全力疾走したようだ。もたれかかっていなければ、今にも座り込みそうなくらい彼女は傍目から見てもふらふらだった。 「名前は?」 「・・・フ、フレイです。フレイ・アルスター」 「ああ・・・・・君か。今日のところはまだ出欠確認も終わっていないし、見逃してあげよう」 「あ、ありがとう・・・・ございます」 ここまで疲れ果てている彼女に、教授も心を動かされたらしい。教授の言葉に力ない笑みを浮かべた彼女は、一礼し、おぼつかない足取りで唯一空席の、つまるところアスランの隣へと向かった。 フレイが着席したのを合図として、教授の講義が始まった。 一コマ九十分というのは、人によって感じ方が違う。アスランにとって九十分の授業はどうってこと無いのだが、隣席の、注目を一身に集めたフレイにとっては全く持って疲れるもののようだ。何しろ、終わりを告げるチャイムの音と共に、机の上に倒れ伏してしまったのだ。 横目でそれを見てしまったアスランは内心大いに驚いた。がたっ、と物音がしたかと思えば、隣の女子生徒がうつぶせているのだから。幾ら他人に興味がないといえども、この部屋に現れたときの様子を考えれば心配する。声をかけようかとも思ったが、微かではあるが耳に地鳴りのような呻き声が聞こえたので、止めた。 案の定、教授が教室内から立ち去ってから、彼女はムクリと身体を起こした。顔には目に見えて疲労の色が濃く映っている。 今日の教授の講義はひとまず終わりだ。しかし、たった一コマだというのにこんなに疲れ果てていてこの先大丈夫なのか、と思わずフレイの先について不安を覚えてしまった。 自分が他人を心配するなんて珍しい、と、自身で思いながら、アスランは講義中配られたプリントに目を落とした。 書かれているのは、四つの項目。この中から一つだけ選び、レポートにまとめた後にその研究結果を発表せよ、とのことだ。もちろん一人で研究及び調査をしてもいいし、複数名で共に研究及び調査をしてもいいとの事らしい。過半数の人間が同じ項目同士でグループを作り調べるようだ。アスランとフレイ以外の生徒は綺麗に三つに分かれている。 今更その三つのグループのひとつに加わるつもりは毛頭ないし、一人で調べる方が、気が楽だと考えるアスランは彼らが選ばなかった最後の項目を見ていた。四つの中で最も難易度の高いこの項目に記されている文字の羅列を目で追いながら、これに関する資料はどこにあったかととある図書館の書庫内の地図を脳内で描いていた。 おおよその見当をつけたとき、アスランはとなりからちくちく何か言いたげな視線を投げられていることに気付く。言わずともがな、フレイだ。 無視しようと気付かぬ振りをするものの、視線が消えることはない。 そして、数分後にアスランはフレイに根負けした。 「アルスターさん、俺に何か用?」 表情はやはり変わっていないものの、声には若干疲れが顔を見せていた。アスランの言葉にフレイはもともと大きめの瞳を更に大きくし、数度瞬くと悪戯が見つかった子供のように苦笑を浮かべた。 「気付いたんだ、ザラ君」 アレだけの視線に気付かない人物がいるのならば見てみたい、と心の中でのみ返すアスランであったが、実際は曖昧な返事をするだけであった。 「ザラ君って・・・・・研究最後の項目?」 「・・・・ああ。今更あそこに入るつもりはないし」 一瞬正直に答えるべきか否か迷ったが、フレイの様子に全くこびるという要素が窺えなかったのでアスランは正直に答えた。 アスランの返答にそっか、と返したフレイは、その後少しだけ俯き考え込んだ。 そして、次に顔を挙げたときには、意を決したような真剣な表情がそこにあった。 「ザラ君、お願いがあるんだけど」 「・・・・・何?」 内心すぐにでもここから去りたい思いでいっぱいだったアスランは、その願いが叶うこともなくプリントを手にし、身体を斜めにフレイの方へ向けたまま彼女の言葉を待った。 薄っすらとではあるがこの先の展開が読めてしまう。当たってくれないことを祈るばかりだ。自分は他人と関わりたくないのだから。 フレイの声が若干大きかったらしく、室内にいる、他のグループの生徒達も何ごとかと後方の端の席に座り見つめあう形のような二人に注目している。女子生徒の中には、不満気なものもいるようだが、今は何もせずただじっくり静観していた。 時の進みが妙に遅く感じる。背筋に汗が伝う感触がした。別に汗は流れていないというのに。むしろ空調は完璧なこの空間で汗をかくほうが難しい。 フレイの口が言葉を紡ぎかけては閉じていく。逡巡しているようだ。 それが何度か繰り返された後。周囲のものたちが知らず息を呑む中。フレイは地に頭をこすり付けるかの勢いで頭を下げると、叫ぶように言った。 「この研究、資料探しだけでいいから一緒にさせてください!!!」 「ぇ・・・・」 頭を下げるフレイに今度はアスランが目を瞬かせる中、周囲の者たちも呆気に取られたような雰囲気となっていた。 確かに共同ですることを頼まれた。が、しかし。その他のみは微妙な位置でもあった。 一緒に研究をしよう、ではなく、資料探しだけでいいから一緒にしてください、と彼女は言った。つまり資料さえ集まれば後は個人でやるということだ。・・・・・・・・・多分。 なんと返せばよいか分からなかったアスランは、流されるようにそれを承諾したのであった。 |
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